事務所外観
2022年4月より新店舗での営業を開始しました。(旧店舗・沿革についてはこちら)
ごあいさつ
弊社は創業以来、米穀取扱100年、肥料農薬販売40年、農薬地上防除20年、地域の皆様とともに歩んで参りました。現在、農薬管理指導士、毒物劇物取扱者、施肥技術指導員、農産物検査員、JGAP指導員、農薬散布ドローン指導員が在籍しています。圃場や作物の状況に見合ったアドバイスとサポートができるよう心がけております。
販売部門では、主に農業者と造園業者向けに、肥料・農薬・用土・種苗・農材・包材・機材の取り扱いをしています。全国の主要メーカーの水稲用、園芸用、緑化用関連の資材全般を数多く揃えています。
また、サービス部門では、米穀集出荷・農産物検査・緑地管理・農薬防除・ドローンに関する事業を行なっています。ホームページの作成支援、プロモーション映像の制作、オリジナルパッケージの提供もご案内いたします。
地域に根ざした農林関係の専門店として、幅広い商品の中から、お客様の問題解決に向けたご提案に力を入れています。農業のことは、100余年の実績とノウハウを持った有限会社丸山昌治商店にお任せください。是非、お気軽にご相談ください。
スタッフ一同
概要
会社名 | 有限会社丸山昌治商店(マルヤマ ショウジ ショウテン) |
創業 | 1891年(明治24年) |
設立 | 1962年(昭和37年) |
代表者 | 取締役 丸山 昌吉 |
本社 |
〒943-0154 新潟県上越市稲田3-2-3 |
倉庫 |
〒943-0155 新潟県上越市四ケ所143-7 |
資本金 | 800万円 |
営業内容 |
肥料・農薬・農業資材販売 |
資格 |
毒物劇物取扱者 6名 |
越後高田・稲田の街並み 雁木(がんぎ)の店 【旧店舗】
1614年(慶長19年)、徳川家康の六男、松平忠輝の居城として伊達政宗の指揮のもと高田城が築城し、大規模な城下町が作られた。街道はすべて高田城下を通ることとなり、城下の主な出入口は主要街道沿いに陀羅尼口、稲田口、伊勢町口の三ヶ所となった。それぞれ現在の北本町、稲田、南本町である。北の奥州街道、東の松之山街道、南の関田街道は、稲田口を経て城下へと入り、新川の荷揚げ場を控えた稲田竪町(たてまち)は陸と海の交通の要衝となった。その後、元禄年間になると下稲田町も街並みを許され、いつしか四ケ所、戸野目へと続く稲田六軒町の雁木通りが形成されるようになる。高田の町の誇り、雁木の店。米騒動、大火、配給。移り行く時代の真っ只中を見つめてきた雁木です。
沿革
1891年/明治24年 |
初代丸山滝十郎 丸山米店を創業 |
1916年/大正5年 | 2代目丸山昌治 家督相続 |
1938年/昭和13年 | 稲田町大火により店舗・土蔵・住宅を焼失 |
1940年/昭和15年 | 米穀・燃料・肥料の販売停止 |
1941年/昭和16年 | 藁工品の製造取扱開始 製縄工場の建設 |
1949年/昭和24年 | 1号倉庫の建設 |
1961年/昭和36年 | 飼料の販売開始 |
1962年/昭和37年 |
有限会社丸山昌治商店を設立 |
1967年/昭和42年 | 3代目丸山昌吉取締役就任 |
1970年/昭和45年 | 用土の販売開始 |
1971年/昭和46年 | 種苗の販売開始 |
1975年/昭和50年 | 肥料の販売再開 |
1976年/昭和51年 | 農薬・毒劇物の販売開始 |
1980年/昭和55年 | 特定米穀の取扱再開 |
1982年/昭和57年 | 製縄工場の解体 |
1996年/平成8年 | 農薬の防除開始 |
2004年/平成16年 | 米穀の取扱再開 |
2005年/平成17年 | 米穀の検査開始 |
2015年/平成27年 | 資本金800万円に増資 |
2017年/平成29年 | 2号倉庫の購入 |
2019年/平成31年 |
ドローンの販売開始 |
2022年/令和4年 |
新事務所の竣工 |
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